自担不在オタから自担を作ったオタクの"自担を作ろう"のすゝめ

我が担当、Travis Japan仲田拡輝の初外部舞台が昨日幕を開けました。

拡輝担になってから約7か月。

担当不在期約1年半を経て、ようやく拡輝担を表明してから、正直嬉しいことしかありませんでした。

”拡輝担になってよかった”と思うことばかりのジャニオタLIFEです。

 

拡輝担になってよかったこと、嬉しかったことはたくさんありますが、おそらく2015年8月16日という一日が、一番“拡輝担”になってから嬉しかった日だと思います。

 

それは、拡輝がかねてから熱望していた、舞台への出演という夢がかなう瞬間をこの目で見る事が出来たからです。

 

拡輝のことは担当になるずっと前からファンでしたが、”担当”であるかそうでないかで、昨日の拡輝を見た感情ってきっと違っていたんじゃないかなぁと思います。

どう違っていたのか、と聞かれてもよくわかりませんが。

 

担当不在のDDも、楽だし好きな時に好きな人に好きなだけ湧けるのはとーーーーっても楽しかったです。

(というか、担当がいる今も、好きな時に好きな人に好きなだけ湧くのは変わらない…笑)

 

でも、担当が出来てからは担当不在期の時には味わえなかったことがたくさんある気がします。

 

オタクのやり方はオタクの数だけあるし、自分がやりたいようにオタクをやるのが一番です。

自担命!でオタクやるもよし、掛け持ちするもよし、DDするもよし。

誰かに文句言われる筋合いもないし、言う筋合いもありません。

 

なので、これは担当不在オタクも、担当いるオタクも両方を経験したイチジャニオタの経験談として、へぇへぇそうかいくらいの感じで読んでいただければと思って、書きます。

 

 

この話をする前に、そもそも“担当”ってなんなの!?という話になるのですが、担当の定義もオタクの数だけあると思っています。

答えは一つではないし、正解もありません。

私も自担を作る上で、担当の定義については死ぬ程考えました。

一番お金をかけたい人?一番感情を揺れ動かされる人??自分の中でセンターに置きたい人??

私の場合は、いろいろ考え悩んだ挙句、担当の定義なんてもうどうだってよくて、とにかく私は拡輝担になりたいんだ!と思ったからでした。

“名前を背負いたい”っていう意味に近いのかもしれません(死ぬ程重い…笑)

 

※ちなみに、私が拡輝担になるまでの過程。

 

 

前置きが長くなりましたが、担当を作って良かったと思うこと!行きます!

 

 

 

①見る度“好き”のピークが更新していく。

 

“好き”って気持ちがこんなにも膨らんでいくなんて誰が想像した?っていう位、見る度に“好き”がどんどん増えていきます。

本当にびっくりするくらい。

“好き”って気持ちが、今MAX!!!!!!!!!!!って思って思うのに、また次自担を見たときには、その時MAXだと思った感情をはるかに超えていく気がします。

天井知らずの“好き”。

 

『私ってこんなに拡輝のこと好きだったんだ…』って思い知らされます。

 

“好き”という感情が膨らんで膨らんで、いつか風船みたいに割れる日が来るのかもしれないけど、それまで膨らみ続けるんだと思います。

それがいつ割れるのか、いや永遠に割れないのかもしれないけど、それまでひたすら膨らみ続けるのを、身に染みて感じることができていると思っています。

 

 

 

②周りから“○○担”さんと認識されることの喜びを感じることができる。

 

これ、本当に。

本当に(大事なことだから2回言う)。

 

一番これを実感したのは、ドリアングレイの肖像の舞台出演発表があった日です。

拡輝の舞台出演決定という事実が、信じられず、その現実を理解できないながらにも、嬉しくて嬉しくて一人家で大泣きしていました。

フォロワーさんからのリプや、お友達からのLINEで、たくさん『おめでとう!!!!』を言ってもらいました。

私はただの拡輝担でしかないのに、なぜか皆さんがお祝いしてくれたんです。

拡輝担らしいことは何一つしてないし(担当“らしいこと”とは…?笑)、あっちこっちに沸いているオタクだし、周りから見たら自分は“拡輝担”として認識されているから(なぜなら、自分がそう宣言したから)、あれだけお祝いしてもらえたんだと思います。

多分、拡輝担じゃなかったらあそこまでお祝いはしてもらえなかったはずです。

 

 

 

③“担当でもないくせに…”という引け目を感じる必要がなくなること。

 

そもそも、担当でもないくせに、という点で引け目を感じる必要なんてないのですが、ツイッター等やってる以上感じますよね?だって人間だもの。ちさを。

 

“担当じゃないくせにあーだこーだ言うのは…”とか、“どうせ外野だから…”って悲観的になって、なにかを発言することに引け目を感じることないですか。私はすごいありました。

まぁ私の場合は、いざ担当が出来てからも“他担のくせに…”と思って、自担以外についてエモく語ったり偉そうなこと言うのを避けていたりしますが。笑

でも、自担の場合には、担当ではなかった時に比べたら、胸を張って自担について語れるようになった気がします(ちょっぴりだけだけど・・・)

 

 

④担当を表明したときに、おめでとうを言ってもらえること。

 

実際私が拡輝担を表明したとき、たくさんの方がお祝いしてくれました。

一つ一つのリプを読んで、嗚咽するくらい泣きました。(だから重い)

みんながお祝いしてくれた喜びだけじゃなくて、なかなか拡輝担になること宣言する勇気がなかった自分が、ようやく表明できて、肩の荷?が降りたような気がした安心感から来るものもあったと思いますが。

 

ここまで書いておきながら何言ってんねん!なのですが、私は“担降り”という言葉が好きではありません。

なんとなく、寂しい感じがするんですよね。

だから少し前までは、担降り宣言したときの、“おめでとう!”と言うのもよく意味が分かりませんでした。

が、実際自分が担当表明したときに、おめでとうをたくさん言ってもらえたときは本当に嬉しかったです。

※私の場合、担降りではなく(という意地w)担当不在からの担当表明だったのですが。

 

②に繋がるのですが、”拡輝担”として認められた、という喜びが大きかったのかなと思います。

 

 

 

…とまぁ、ざっとこんな感じです。

 

あとは、拡輝担という点に関して言えば、担当になってから、お兄ちゃんガチャや滝チャンネル出演、そしてドリアングレイという初の外部舞台など、自分が期待していた以上の色んな新たなお仕事見せてくれることが本当に嬉しくて、拡輝担になってよかったな思っています。そして、これからももっともっと新たな世界を見せてほしいなと思っています。

アイドルがオタクに夢を見させてくれる存在だと思っています。だから、好きな子が色んな世界を見せてくれる限り、その可能性がある限り、今後を期待してもいいんだ!と思える限り、私はその子、つまり拡輝の担当なんだろうなと思います。

 

 

ジャニオタになるとか、○○くんのことがたまらなく好きとか、○○くんかわいい!かっこいいという感情や、“○○担になる”に至るまでの感情は、自分の意志でコントロール出来ないものだと思います。

 

しかし、“○○担になる”というのは、自分の意志で決まる部分が多いものだと思います。

自分が○○担になると宣言した時点で、自分は○○担になれるのですから。

 

だからこそ、担当宣言というものは大事に大事にすべきだなと思うのです。

 

担当がいないけど、欲しい!と思っているそこのあなた!

担当がいるジャニオタLIFE、とっても楽しいですよ♡

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